最近、少年犯罪が激増しています。
親が子を、子が親を殺すという事件が多発しています。
昔の犯罪は生活苦が原因でした。何故、犯罪の質が変わったのでしょうか。
それは「食の乱れ」にあるのではないでしょうか。
少年犯罪をなくす一つの方法は食生活の乱れを正すことだと思います。

江戸中期に活躍した観相家の”水野南北”は、「食はその人の運命を変える」と言っています。

今回は、水野南北の悟り得たお話をご紹介したいと思います。

水野南北は大阪で生まれ、五歳で両親を亡くし、十歳で酒を覚え、十八歳の頃酒代を得る為に悪事を働き、捕らえられて牢獄に入れられました。

入牢した南北は、罪人の顔と普通の人々の顔に、著しく相違のあることに気がつきます。

まともな顔の罪人は、一人もいませんでした。

悪相が罪を犯すのか、罪がその人を悪相にするのか。

彼は出牢すると、町の観相家に人相を視てもらいます。
南北の相は、火輪眼という大凶相で一年を生き延びた者はいないと言われています。

南北は、死ぬのが恐ろしくなって、鉄眼寺の老師に助けを求めたところ、これから半年の間、「麦」と「大豆」と「塩」だけの食事をしなさいと云われました。
南北は、これに従い、半年経って件の観相家に会いました。

すると、「お前の死相が消えている。あれ以来、お前は何をしたのか」と問われました。

毎日、「麦」と「大豆」と「塩」のみ食したと答えると、観相家は、
「おお、節食が凶相を消した。」と云いました。

愛すべき南北は、観相家の弟子となるが、悲しいかな無学の為、相学に関する書物が理解できません。又、人の顔になぜ運命が表出するのか、書物にはありませんでした。

人の顔の持つ神秘を探求するには、自分の確かな眼で万人の相を観るしかないと思い、二十一歳の時、師匠とも書物とも別れて、毎日毎日往き行く人の顔を観察しました。

次に床屋の下働きになり、毎日顔を観察します。

そこで、大きな疑問が湧きます。

「一代で財を築いた人達は福相でなく相学的に貧相の人が多い。また、福相の人が、その日の暮らしに困っているのはどういうことか。」

確然たる運命の判断を下す為には、顔だけではなく全体を観察する為に、次は風呂屋の三助になります。あまねく男女の裸、特にヘソとか、生殖器を観察しました。

三年経ったある日、凶相の男がやってきました。
ヘソ・男根を見ると間違いなく大凶相でした。男は大店の旦那といいました。
南北は、自分の眼を疑いましたが、男は翌日、自殺をして果てました。

南北は葬儀に駆けつけ死に顔を見たら、大凶相は消え、穏やかな円満相で、南北は又々疑問が湧きました。

顔は運命とともに揺れ動く。生きていた時の顔と死んだ後の顔の差を見たいと思いたち、今度は焼き場隠亡にもぐり込み、死刑・焼死・溺死・病死・餓死・自殺者などの顔を観察していきました。

こうして床屋に三年、風呂屋に三年、墓所で三年、人の顔の全てを見極めた南北は、三十歳で相法家の看板を出しました。
切れ味は鋭く、胡散臭さや曖昧さは全くなく、評判は爆発的な勢いとなって多くの門人が集まりました。

書物だけでなく、実際に人を観察して観相家として成功した南北でしたが、まだ疑問がありました。

十中八九は当たるが、一つ二つが不十分でそこが解けません。

南北は、伊勢神宮に行き、五十鈴川で禊ぎをし、食を絶ち、水垢離をとって二十一日の荒行に入ります。そして満願の日に豁然大悟します。

「人は食を本とす。良薬を用いるといえども、食なさざれば命を保つことあたわず。故に人の良薬は食なり。食の貫きこと知らずして吉凶をべんずるといえども、長命短命の明白に定めることあたわず。食を慎む人在り。慎まざる人在り」

その後、南北は人を相するに、まず食の多少を聞き、もって生涯の吉凶を弁じました。
おかげで、万に一失なしといいます。

運命は食に在り。禍を福に転ずる道は、食に在り。南北が悟り得たものは現代にも十分、いや飽食に慣らされている今こそ通用するのではないでしょうか。

私は、人生の最後は、「ピンピンコロリン」が最高だと思います。
その為には、日々の食事をよ~く考えて摂取しなければならないと思います。
今こそ路傍のゴールド(スギナ・ヨモギ・モロヘイヤ)の出番だと思っています。

南北が生きていれば、路傍のゴールドを何と評価してくれるでしょうか。