東日本大震災が発生して今年で13年目になりますが、まだまだ復興は遅れているみたいですね。

放射能汚染水処理がこれから何年も続くようです。コロナも心配ですが、放射能が人体に与える影響がいまだ政府から調査報告がなされてないのはどういうことでしょう。

長崎の原爆投下後から献身的に被災者の擁護・治療に活躍された聖フランシスコ病院の秋月振一郎医師は

「昭和二十年八月九日の原子爆弾は長崎市内を大半灰燼にし、数万の人々を殺した。爆心地より1.8キロメートルのわたしの病院は、死の灰の中、廃墟として残った。
私と私の仲間は焼きだされた患者を治療しながら働き続けた。私たちの病院は、長崎市内の味噌・醤油の倉庫になっていた。玄米と味噌は豊富であった。さらにわかめもたくさん保存していたのであった。
その時、私と一緒に、患者の救助、付近の人々の治療に当たった従業員に、いわゆる原爆症がでない原因の一つは、わかめの味噌汁であったと私は確信している」

と、著書「体質と食べ物」に書かれている「わかめの味噌汁と玄米食」で自分の結核を克服したと信じていた秋月医師はスタッフ全員に、「わかめの味噌汁と玄米食」を勧めていた。また砂糖(甘いもの)は避ける様に指示していた。
そのお陰で、医師・看護師らは獅子奮迅の働きで、多くの命を救い、原爆症を発症したスタッフは一人もいなかったという。

味噌(大豆)のタンパク質やビタミン・ミネラル等、わかめのミネラル(ヨウ素やカルシウムなど)・繊維等、玄米のビタミン・ミネラル・ファイトケミカル(フィチン酸・フェルラ酸など)繊維等々の総合力によって放射能の害を抑えたとしか考えられない。

広島の原爆では、9歳で被爆した少女が奇跡的に回復し、その後、結婚されて7人もの子宝に恵まれた。佐和子さんは、外で遊んでいる時にピカドンの爆風に飛ばされ、ある家の屋根から転がり落ちて我に帰った。足の裏まで焼けた全身やけど(髪の毛も眉毛も黒焦げ)のなか、必死の思いで母親を見つけ出した。全身に水を掛けられ病院に運び込まれ即入院。奇跡的に一命を取り留めたものの、ケロイドは切っても切っても盛り上がり、夏場はその傷口からウジが湧いていて、そのウジを取って暮らすのがとても辛かったという。高校生になるまで、母親は佐和子さんに鏡は一切使わせなかったという。
こんな醜い顔で結婚も出来ない。原爆症で白血球も肝機能も低下し、生きる支えはただ一つ、勉強して、研究者になり原爆・放射能の研究をしよう。彼女は猛勉強をして広島大学工学部に入学し、放射能の研究一筋の生活に入った。そして、玄米食をしていた平賀先生と巡り合う。先生は暇さえあれば佐和子さんを山へ連れだし山菜や薬草を取りに行き、「玄米を食べて治らない病気はない。からだの浄化作用するのは玄米の働きだから、玄米を食べていれば原爆症だって治る」と言って玄米食を勧めた。
その言葉を信じて玄米食を始めた佐和子の体に数ヶ月で変化が起きた。
あの焼きただれたケロイドの皮膚がボロボロと剥がれ落ちてきたのだ。
髪の毛も眉毛も元通りに戻った。
そして、平賀先生と結婚されて、なお一層、二人で食べ物と身体について研究されてたそうです。

秋月振一郎先生の「体質と食物」を一度読んで見られはいかがでしょうか。